2017年1月14日土曜日

【ニュース】グナワン・マリヤント氏がインドネシアの映画で主演男優賞を受賞!

前作、マハーバーラタ3に出演したインドネシアの俳優のグナワン(Gunawan Maryanto)氏が、

映画「Istirahatlah Kata-Kata」にてインドネシア最大の雑誌「Tempo Magazine」が選ぶ

2016年度の最優秀主演男優賞を受賞しました!

グナワン氏は俳優でありながら詩人でもあり、マハーバラタ3が終わった後に、素敵な詩とコメントをくださいました。
今回、受賞の記念に、いただいた全文を公開いたします!

ぜひ読んでみてください。



1)マハーバーラタ雑記  グナワン・マリヤント(シアターガラシ俳優/詩人)  (日本語訳: 小谷野哲郎)

私は扉の取手に飾られた蓮の首飾り
あなたが戦いの場で私を身につけるのを待つ
私の半身は渇いた石の川
時折の雨の時にだけ、濁り水が渦巻く
私を亡霊と呼ぶが良い
終わることのない怒り
もしくは敗北に終わった愛
ひとりの男に私の苦悩を掲げる
私の名を呼ばなくてもいい
戦場の淵に立つだけでいい
私をその首にかけてくれ
やがて彼は私を受け入れるだろう
迎え来たる車のように 
(アンバー) 
アンバーはビーシュマの元に現れ、死を告げる。いかに神に愛された男であろうとも、震えを止めることはできない。大戦争バラタユダは、誰にとっても過去と向き合う場のようだ。そう、過去に犯した数々の過ちと。ビーシュマとても例外ではない。そして、このビーシュマの死は、小池博史によって「マハーバーラタ パート3」のクライマックスとして選ばれたのだ。この作品は、インドネシア、ジョグジャカルタとジャカルタで公演を終えたばかりで、私もひとりの出演者として参加していた。 
小池博史ブリッジプロジェクトの作品に参加できたことを心から嬉しく思う。すでに小池さんの作品のいくつかは観たことがあり、とても心惹かれていた。いちばん最初は2001年。パパ・タラフマラがソロに来たときのこと。テアトル・ガラシの仲間たちと観に行った。タイトルこそ思い出せないが、その夜の舞台にどれだけ魅了されたことか。その後いくつかの作品を映像で鑑賞し、最後に再び直接目にしたのは、ジャカルタはサリハラでのパパ・タラフマラの公演だった。本当ならば、数年前にジョグジャカルタで上演された小池さんの作品、「ガリババ」のオーディションに参加したかった。テアトル・ガラシからも何人か参加していたのだ。小池さんがどのように作品を創作するのか、それを知りたかった。そして、ついに、私自身が「マハーバーラタ パート3」に参加するときがやってきたのだ。 
「マハーバーラタ パート3」のオーディションがあると聞き、私はすぐに参加を決めた。正直、はじめは迷いもあった。なぜなら、年齢制限がちょうど私の年齢だったからだ。40歳。果たして、私のスタミナはまだ大丈夫なのか?さらに言えば、私はダンサーではない。しかし、ともあれアルク・ガレリエで行われたオーディションに行くことした。そして、最終的に、私はこのコラボレーション・プロジェクトに参加できることとなったのだ。 
私を喜ばせたふたつのこと。 
ひとつ目は、小池さんの創作プロセスを直接この目で見ることができたこと。ふたつ目は、マハーバーラタそのものについて。小さい頃から愛して止まない、この古典の物語について。ジャワ人にとって、マハーバーラタは日々の生活の中に息づいている物語だ。はるか昔にインドから伝わったものであることをもちろん知ってはいるが、まるでジャワで生まれた物語であるかのようだ。私は、まだ小さな頃からこの物語に親しんできた。毎晩寝る前には、母がマハーバーラタの物語を語ってくれた。毎日、祖父がマハーバーラタの登場人物を絵に描いて日々を過ごすのを見てきた。私にとって、「マハーバーラタ パート3」で演じるということは、そんなノスタルジーにも似た気持ちだった。
そして、約2ヶ月にわたる「マハーバーラタ パート3」の創作プロセスが終わった。身体的には大変厳しいものだった。でも、楽しかった。違った身体との出会い。マハーバーラタを再創造すること。その全てを味わった。 
僕の中に野生の馬がいる
飛び越えることのできそうにない渓谷
そして突然の愛
自ら湧き起こり、抗うことはできない
僕の外側には長いトンネル
そして後ろには、明るい光が
裸の女の羞恥からの光
今僕は、死の真下を歩いている
ひとつの一族の敗北の真下を
いつまでもいつまでも
その女の子宮に向けて
僕は無理矢理武器を取ったのだ
今や僕は一匹の山羊
君の排泄物の中に隠れている 
(アシュヴァッターマン)  

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